私が占いを教える理由
自分に言い聞かせること


長いこと、ヘイズ中村の著作などをご愛顧くださっている方々は、元々の私がそんなに積極的に外に出ていくタイプではないのをご存知だと思います。しかも、体力がないことには誰よりも自信がある!という状態なのにどうして毎週、山の中から東京や名古屋までえっほえっほと出かけていくのか。それに関して、かなり侮辱的な噂から、シンプルな疑問まで多様なお言葉をいただいています。黙っているばかりが正解ではないよなとも思いましたので、この場を使ってちょっと説明させていただこうと思います。
ということで、今回はとってもプライベートな内容のブログです。なので、ここに書いたことが正しいとか、こうせねばならないとか、あるいは現状が間違っているから告発しなきゃ、などという建前は「ゼロ」です。私以外の関係者が皆、もう天国に行ってしまっていることもあり、ほとんど勝手な独白、勝手な決意表明のようなものです。なお個人情報はかなりぼかしてありますので、その辺りを調べようとしても迷路に入るだけですよ、と先に申し上げておきます。
若い頃に電話占い会社の講師をしていたことはありましたが、占い師人生のほとんどを家に引きこもって原稿を書いたり、昔からのお客様だけに占いをしていました。そんな私が久しぶりに占い講座を始めたのは、今から十年ほど前でしょうか。当時、下北沢でオカルト・ショップ「月光」を経営されていたクロエさんにお世話になりながら、講師業にカムバックしました。本当に当時はクロエさんはじめ、多くの方々に引っ張り出してもらってお世話になったこと、感謝しております。
だからといって、それからの私が講師業が楽しくて仕方がなくなったわけではありません。まず、神秘学から占いという部分だけを切り取ってお話しすることには、どうしても抵抗があるのです。そしてなんといっても、精神世界の講座にはあまりにも悪どいものが多く、そうした人たちと十ぱ一絡げにされるのが辛い上に、意外かもしれないんですが、私、人見知りが激しいんです。なので、毎回、新しい人たちと会ってお話しするのは、かなりのストレスだったり。でも、いちど開けた扉は閉じられません。いつもいっているように「一日に百回質問されるならば、まとめて答えた方が良い」という現実もあり、講座を続けていました。
転機になったのは
求められることは嬉しい反面、これでいいのだろうかと思い悩みながら、講師として試行錯誤し続けていた頃。私の父が亡くなりました。もうかなりの年齢でしたし、ほとんど苦しまずに亡くなったので、それはそれで安心することではありましたが。そして父の遺品を整理していると、父の親友に関するある書き付けを見つけました。今から六十年近く前のちょうど今頃、自らこの世を旅立つ選択をされた方です。その知らせを受けたときの父の表情は、幼かった私の脳裏にしっかりと焼き付いていて薄れたことはありません。当時の職場に生じた不祥事の責任を全部押し付けられての悲しい結果だった、とききました。
そして、父の死後、保管していたその当時のメモが私の手に残りました。単にシュレッドしてしまう気にはなれず、一応、目を通させてもらいました。そこには、ご遺族を支えるための友人たちの計画などが記されていて、それだけでも胸が張り裂けそうだったのですが、私の心を本当に引き裂いたのは、その方が悲しい決断をされた直接の理由は、その前の晩、街占で手相と姓名判断をしてもらって、そこでかけられた言葉の数々であったようだ、と記されていたことです。
バカにするわけではありませんが、昭和の時代で飲み屋街の占い、どうせ酔い客相手に適当な言葉を並べただけかもしれません。すでにその前から彼は死に魅入られていて、占いの結果など、単なるきっかけに過ぎなかったのかもしれません。それでも、その占い師さんは、死に引き寄せられている彼のオーラが読めなかったのでしょうか。笑顔の下に隠した苦悩を察することは、自分を嘲笑しながらの相談に、なんらかの危険を感じられなかったのでしょうか。占いの結果として真実を告げるにしろ、そこに一抹の思いやりと希望を入れることはできなかったのでしょうか。
だから教えています
そう思うと悔しくて、悲しくて、どうにもできない怒りをぶつけるところがなくて、私は、ただ、泣きました。いや、泣き叫びました。落ち着くまでに、随分と時間がかかったような覚えがあります。あまりに取り乱していたので、私の代わりに夫が昼ごはんを買ってきてくれましたっけ。
その昼ご飯を食べ終わって少し落ち着いてから。夫は私に「それを知っていても、お義父さんは君が占い師になるのに反対しなかった。きっと君はそんなことをしないから、と信用していたんだろう」と言ってくれました。でもこんな事実を知って、どうしたらいいのかわからないよ、と私が愚痴りだすと「教えるんだよ」と。今の私には占い師としてそれなりの地位と、教えるための場所やチャンスが揃っている。だからこそ、若い占い師たち、後輩たちがそんなことをしないで済むように、もっと良い占い師になれるようにしっかり教えるしかないだろう、と。
確かに私は、そのための能力と機会には恵まれています。そして、どんなに冷静に考えても、教えることしかできない、ともいえるでしょう。だから、体が動く限り、教えることは続けようと決心しました。占いで親友を亡くした父なのに自分の娘が占い師になることを止めなかったのも、父なりに考えがあったのでしょう。そう思って、占いと、人間と真剣に向き合うお話を続けていこうと思っています。