エコテロへの魔術的雑感

効果がなければ無意味です

地球規模の気候変動は最近、加速化しているのが誰の目にも明らかです。そのため、化石燃料を扱う企業や自動車産業へのデモ行動なども増えていますが、現状が素早く改善される気配はゼロ。また、代替エネルギーとされるものも、どれも環境への影響は一長一短でこれだ!という決め手が見つかりません。結果的に、当面はエネルギー消費そのものを減らそう、という方向に大きく流れが変わってきているように思えます。ただ、どこの消費を減らすのか、それを誰が決めるのか、という大問題が立ちはだかってくるのです。

「そんなの簡単、無駄な消費を削れば良い」と即答する人も多いでしょう。でも何が無駄、なのでしょうか?外国では、美術品の保管に割かれているエネルギーは無駄だとして、美術館で名画にスープや塗料を投げつける事件が起きていますし、つい先日は、英国のストーンヘンジにペンキが吹き付けられる事件も発生しました。二十一世紀の問題を石器時代の遺跡にぶつけてどうするんだ、という疑問はさておき、人目を引くためだけに人類の遺産を傷つける行為は本題からずれまくっている、と判断できるでしょう。それ以外にも、大規模な道路封鎖を行うといった過激な抗議活動も増えており、総合して「エコテロリズム」と称されています。こうした活動家は、自分たちが「無駄」だと思う活動にエネルギーを使うべきではない、と表現しています。

これらの活動に対する日本の一般的な反応は「外国の活動家は極端だから」といった風潮が強いように感じています。でもそれは本当でしょうか?確かにこれまで日本人が環境保護の名の下に、こうした破壊的な行動に出た記録は見当たりません。しかし「生きているのが無駄」だから、と勝手に判断して障害者や弱者の命を奪う、という凄惨な事件はこれまで繰り返し起こっています。そうした事件の実行犯は精神を病んでいるのだからこれとは関係ない、と思うかもしれませんが、その根底に流れているのは、自分以外の何か、誰かを近視眼的に「無駄」だ、と判断する身勝手さに集約されるのではないでしょうか?

もちろん、誰だって聖人君子ではありません。例えば、自分や家族の子供がひどい病気で苦しみながら病院で診察を待っているとき、かなりヨボヨボのご老人が先に診察室に呼ばれたら?そんなとき、ドス黒い気分にならない保証は誰にもありません。老人よりも未来のある子供を優先してくれ!と叫びたくなる人がいても、ごく自然な衝動かと思います。SNSには、もっと露骨に年寄りに保険を使わせるのはもったいないといった極端な意見が飛び交っていますし。

何が無駄なのか

とはいっても、本当に何が無駄なのか、なんて神ならぬ身の普通の人間にそうそう決められるものではありません。人の命を勝手に「歳をとっているから」「ハンディキャップがあるから」などといった理由で資源の無駄!などと言い出したら、私たちはあっという間に「姥捨山」の時代に戻ってしまいます。第一、ハンディキャップがあるなんて、一体どの程度からが「資源の無駄」なんでしょうね?視力が悪くてメガネをしている人だって、ある意味では該当しちゃいますよね。それにお年寄りだって、何歳からがダメなんて簡単に線引きはできません。七十を越えてもかくしゃくと活躍して、孫を育てている人もいますし、私なんてもう、五十歳ごろからかなりポンコツになってきていますし。一人一人を、検査にでもかけて生き残るかどうか決めようとなったら、まさにディストピア小説の世界が現実化してしまいます。

芸術作品もしかり。もうこの作品の保管は無駄だ、なんて誰にも決められません。本の虫の私は、かつてのアレキサンドリアの大図書館が燃えたことを想像するだけでも、半日くらい泣いていられます。その中にあった膨大な文書が今でも閲覧できたら、どんなに素晴らしかったか!ドイツの詩人、ハインリヒ・ハイネは「書物を焼くものは、早晩、人間を焼くようになる」という一文を残しており、ナチス・ドイツの活動はその典型とされています。私たちはそんな道をまた歩まねばならないのでしょうか。それも「環境保護」という一見、美しい錦の御旗のもとで?

で、本題です

さて、ここまでストーンヘンジ以外はあんまり魔術に関係なく話を進めちゃいました。実際のところ、私自身の歩んできた道は、ストーンヘンジにもあんまり関係ありません。もちろん、多くのペイガンにとってとても重要なシンボルであり、信仰の中心でもあるのはよくわかっていますけれど、ストーンヘンジ=魔術!という実感は私にはないのです。しかし、こうした活動もどうしても魔術的なレンズを通してみてしまうのが、長年の魔女生活からの性でしょう。

そう考えると、一定の思想にプロテストしたり、自身の考えを正しく広めたい、という目的に沿って検証すると、昨今のエコテロリズムは決して成功しているとはいえない、という結論になります。それどころか、ああ、環境問題なんて頭のおかしい人くらいしか心配していないのだ、といった逆効果を与えているとさえいえそうです。そうなると、志の下に一定の変化を起こす、という魔術的観点では、大失敗!さらに、生きている人が無駄だから処分する、などというとんでもない思想で行動した場合の結果など、考慮する必要もありません。

魔術師でも魔女でも、地球の環境が劣化すれば生きてはいられないのですから、その改善のために努力した方が良いのは自明の理です。そのためには、自分の周りの無駄を省き、環境汚染に無頓着な企業や人々に効果的に働きかけていくしかないでしょう。というと、おいオマエ、さっきまで言ってたとことと違うじゃないか、と怒られそうですね。でも「自分の周りの無駄を省く」ことは、思想的な矛盾を持たずにいつでも実行できます。つけっぱなしの電気をこまめに消し、フードロスを減らし、流行に振り回されて無闇に洋服やその他の資源を消費するのは止める、とかね。企業へのアピールはデモもありますし、今はみなさんブログなども気軽に書けるのですから、そうしたもので意思表明をしても良いでしょう。あ、SNSで扇状的に騒ぐだけではかえって該当企業の売り上げはアップする、という統計もありますから、落ち着いて、戦略的にいきましょう。

暴力にも日和見にも走り過ぎれば、その行動は魔術的とはいえず、最大の効果を上げることもありません。あなたが地球を守るための魔術、できそうなことからリストアップしていきませんか?

著者について

ヘイズ中村は子供の頃から神秘の世界に魅せられ、長じて占い師、魔術研究家になりました。とくにトート・タロットに惹かれて『決定版・トート・タロット入門』も執筆しました。隙間時間には下手の横好きなレース編みをしたり、異次元に想いを馳せられるSF映画など楽しんだりしています。

ヘイズ中村は下記のサイトでも活躍しています。ご意見や質問などお待ちしております!