ルーティーンと惰性の違い

意識的行動のコツ

私が若かった頃は、今ほど日本語の魔術書はありませんでした。その分、ヨガやシュタイナー・メソッド、グルジェフ・ワークなどの霊的トレーニング系の書籍が充実していたため、よく読んだものです。その中で感銘を受けたのは、グルジェフが語っていた「すべての行動はルーティーン化した瞬間に、刺激がなくなる。それを防ぐためには、毎日の予定を頻繁に変えていく必要がある」という一言。それだけで、日常生活が修行になるならば!と色めき立ったのを覚えています。でもそれって、現実的な方法なのでしょうか。

ここら辺でもう、多くの賢明な読者の方々は予想されているだろうとは思いますが、実際、毎日違ったコースで生きる、なんていうことは「無理!」でした。とくに当時は実家暮らしだったので、母が更年期障害で寝込むようになってからは、私の家事の負担量が増え、それこそ一日か二日でこの理想は崩れ去ってしまいました。だって、家事なんてルーティーン・ワークの極みなんです。お米を炊飯器にかけるのだって、ほぼ毎日、同じ時間帯で行うことになりますし、その程度のことを毎回「一体いつ、どのように実地すれば効果的に美味しいお米が炊けるのか」なんて考えていたら、キリがありません。大人だけの家庭でもそうだったのですから、赤ちゃんや幼児がいる家庭だったら、それこそ、毎日の食事や着替えなどは、最も効率的なパターンをいち早く決めて、どんどんルーティーン化していくしかないのは、今ではとってもよくわかるのです。

また同じ頃、男性魔術師さんの発言で「家庭に入った女性の発言は台所と子供のことで占められていて、魔術的思考の入る余地がない」(うろ覚え)といったものも目にしました。そして、この崩壊したグルジェフ方式のトレーニングへの矛盾点とともに、この発言に強烈な怒りを感じたのを忘れません。グルジェフはきっと、自分でパンを焼いたりしていなかったでしょう。もしそうした細々とした生活での作業をしていたら、ルーティーン化の重要さは実感していたはずです。また、女性の話題が限られていると見下す男性のお子さんたちは、誰が養育していたのでしょうか。彼が「高尚な」精神世界のことを考えている間に、離乳食を作り、赤ん坊のオムツを替えているのは誰なのでしょうか。

その視点で考えると意識的な日常生活、なんてあまりにも絵空事で馬鹿馬鹿しい!ということで、その瞬間から私はルーティーン化万歳派に鞍替えしました。だいたい、人間の大脳ってすっごい量のエネルギーを消費するんですよ。だからある程度、深く考えないで動けるようにパターン化しないと、他の行動に使うべきエネルギーを使い切って、疲弊してしまいます。高尚なことだけ考えたい人はそれでかまいません。土台となる生活力がない状態での精神修行など、砂上の楼閣なのですから。

ルーティーンの長所

やがて、そんなふうに過ごしているとルーティーン化の長所も見えてきました。私だけがそう思っていたわけではなく、昔から人々はこうした作業の間に軽い瞑想をしたり、リラックスしたりするというテクニックを発達させてきたということが分かったからです。そうですよね、昔は今よりももっと定期的にやっておかねばならないことがあったはず。水一つとっても、井戸まで汲みに行かねばならなかったのですから。そして、一度、このような手作業とリラックスや瞑想が習慣化してしまえば、例えば皿を洗いながらでも、皿洗いと結びついた一定の精神状態に入っていくことができるようになるのも利点です。一日は二十四時間しかないのですし、私たちには他に用事を片してくれる使用人などいないのですから。精神の自動化、大歓迎です。

今ではAIも出てきましたが、既存の文章をかっぱらって適当なコピペ文章を作ったりしているだけで、洗濯も掃除もしてくれないので、しばらくはまだまだ、人間側で自分自身を効率的に動かす工夫をしていく必要があるでしょう。

惰性は別の話

とはいっても、ルーティーンが行きすぎて惰性になってしまうと、効率も悪いですし、もちろん、精神的な鋭さもなくなってしまいます。よく似てはいるのですが、惰性とルーティーンの大きな違いは「検証意識がない」ことではないでしょうか。例えば、お子さんを保育園に遅刻せずに連れていくための起床から朝食への動き、というものがルーティーン化しているとしたら、お子さんが小学校に入ってもチェックすることなく、そのまま同じ行動を続けるようでは、思考停止ですし、効率だってよくないに決まっています。大きな目的が異なってきたのに、以前と同じ行動パターンを続けるのは、悪しき惰性なのは間違いありません。

とはいえ、惰性とルーティーンの間を分ける壁は薄くて、本人にはなかなかわからないものでもあるでしょう。惰性に陥って心身ともに「鈍い」存在へと堕落しないようにするには、毎日の作業の中で最初に一つ「これは何のためのルーティーンなのか」をチェックする癖をつけておくのが良いような気がしています。目的と手段が乖離していないか、目的ありきになっていないか、あるいは最悪、何のためにやっているのかも無視していないか。それだけでも忘れずにチェックしておくと、ルーティーン化の弊害はぐーんと減るように思います。限られた時間とエネルギー、効率的に使って生きていきましょう。

著者について

ヘイズ中村は子供の頃から神秘の世界に魅せられ、長じて占い師、魔術研究家になりました。とくにトート・タロットに惹かれて『決定版・トート・タロット入門』も執筆しました。隙間時間には下手の横好きなレース編みをしたり、異次元に想いを馳せられるSF映画など楽しんだりしています。

ヘイズ中村は下記のサイトでも活躍しています。ご意見や質問などお待ちしております!