真夏の夜の怖い夢

夏の風物詩はやっぱりこれ

今回はいつものブログとはかなり雰囲気を変えた、レイドバックな内容にしてます。だってそれでなくても暑いんだから、肩に力なんて入れたくないですし。これから書くお話はどれも私自身の身の上に起きたことで、しかも何十年も前のことばかりですし、プライバシーを守るために少しだけ、時系列を変えたりもしてあります。だから、ちょっと不思議な思い出話として楽しんでいただければ幸いです。

もう何度もお話ししてきましたが、私は若い頃、ほとんどの時間を病院の中で過ごしてきました。そのせいか、人の「死」にはなれてしまい、その事柄自体には何の恐怖も感じません。どちらかというと現世での苦しみから卒業されたのだ、という思いを抱いてしまいます。そんな私がティーンエイジャーになった頃から、一両日以内くらいに亡くなる方が「分かる」ことに気がつきました。もちろん、誰にも言いませんでしたが、これまた「視える」タイプの看護師さんに見つかってしまったことも。とはいえ、病院でお亡くなりになるのですから、未然に危険を避けられるわけでもなく、ただ心の中でお見送りするだけ。後に「どんなふうに分かったんですか?」と聞かれましたが、これはもう、理屈になりませんでした。ぱっと見で人の性別がほぼ分かるのと同様に、としか説明のしようがなかったのです。そしてこの能力は、私自身が棺桶に片足を突っ込んでいるような健康状態から抜け出すと同時に失われていきました。当時の私は、現世から抜け出しかけていたのでしょうか。

次はいきなり時間が飛んで、占い師になったころ。私が働いていたお店は、目抜通りから一歩、奥へ入ったところでした。少し分かりにくかったので、よく道案内の問い合わせがありました。しかし、ときどき、何度ご説明しても「お店が見つかりません」とか「言われた場所まで来たけれど、お店が見えません」という現象が起きるのです。そして、そのようなお電話がくる日は、お馴染みのお客様しかお店にはいらっしゃることができず、お問合せをくださった方々は、諦めて帰ってしまわれるか、数日後にもう一度挑戦していただくか、でした。そして数日後には不思議なほど、スラリとお店にたどり着けるのです。スタッフ一同、最初は本当に不思議で仕方がなかったのですが、やがて慣れてしまうと「ああ、あの日なんだ」と静かに黙祷を捧げるようになりました。その日、とは毎月の十二日、二・二六事件の決起将校たちが処刑された日の祥月命日です。お店へ来る道の曲がり角が彼らの処刑場だったのは、そのときに知った事実でした。

そんな場所にあったせいか、あるいは様々な人の念がこもりやすい占いショップという性質からか、このお店では一生分の怪奇現象を経験したような気がします。初日からお店を辞める日まで悩まされたのは、スタッフの気配がバラバラになってしまうことでした。誰でも、さほど広くない職場に数人で働いていれば、あっちの机にはAさんがいて、Bさんは品出しをしている、といったことは目で確認しなくても気配でわかるもの。でもこのお店では、それができないのです。遅番のスタッフがいると思って店の裏に「お昼ご飯に行ってきますね」と声をかけると、そこには誰もいなくて明後日の方向から「了解でーす」という返事が来る、ということに。じゃあ、ここに感じている気配はいったい誰のものなんだ?!それが通常なので、スタッフたちはまず「ヘイズさんどこにいますかー?」などと声をかけてから会話を始めるしかなかったのです。あのお店にいたのは、いったい誰だったんでしょう。

居候の小さい人

それ以外にも、お店にはスタッフたちが「小さい人」と呼んでいた「何か」が居候していました。この居候君は何かを具体的にするというより、ただ、スタッフをびっくりさせるのが楽しかったようです。例えば、絶対に揺れるはずのない家電のコードがグラングランと揺れ続けたり、風もないのにいきなり書類がばっと舞い上がって散らばったり。小さい人、というあだ名がついたのは、たいていは人間の膝より下の高さで何か悪戯をしていたから、です。またこの居候君は、あるタロット・カードがとてもお気に入りだったらしく、商品を展示していた棚から、しつこくそのタロットだけを落としたり、逆さまにしたり、横向きに置いたりして遊ぶ、という不思議な癖がありました。最初は該当のタロットの箱が不安定なのかな?と考えて、新しい商品に取り替えてみたりもしましたし、毎回、定位置に戻すのにうんざりしたスタッフが、閉店時にそのタロットだけ両面テープで棚に固定したりもしたのですが、小さい人は相変わらず頑張って動かし続けました。でもそのタロットが絶版になってしまったら、もうタロットを動かすことも、他のいたずらも消えてしまったんです。もしかしたら、小さい人はそのタロットの妖精だったのかも。

こうした毎日が続くと、ちょっとやそっとでは不思議な気持ちにもならなくなってしまうのは当然でしょう。でもあるとき、それを超えるびっくりがやってきました。遅番出勤だった私が駅から職場に向かって行く途中、中年男性の一団が一定の間隔で道に立っているのに気がつきました。そして、一人が何らかのジェスチャーをすると、まるで伝言ゲームのように一人、また一人とそのジェスチャーをリレーで伝えて行くのです。当時の渋谷には様々な新興宗教団体が毎日のように繰り出していましたから、そうした人の一派なのだろう、と思い、さして気にもとめずに職場へと歩き続けたのですが、どうもそのジェスチャー・リレーの方々の列も、私と同じ方向へ続いているではありませんか。恐る恐る職場へ入ると、そこに続く男性たちの列。その最後には店長に占ってもらっている男性がいました。後から聞いた話では、この方々は、宇宙からの波動をヒューマン・ウェーブで増殖して伝える活動をされていたとか。ちなみに店長は「何が何だか分からなかった」そうです。やはり、生きている人間が一番、不思議です。

ドアの番人

小さい人以外に毎日頑張って働いて(?)いたのが、ドアの番人さんでした。お店ですから、ドアのところにはお客様の来店がわかりやすいように、かなり大きなベルがつけられていました。で、番人さんはこのベルをじゃらん・じゃらんと鳴らすのが大好きだったんです。風で揺れるのかな、と思ってかなり重たいタイプにも入れ替えたのですが、それでも気にせず、じゃらん・じゃらん。慣れてしまえばどうってことないような気もしますが、なぜかこの番人さんは、スタッフがびっくりして飛び上がるタイミングを見計らって鳴らす特技がありました。経営者がお供えでもしていたんでしょうかね。

最後にもう一件。ある日、お昼休みに私一人で店番をしていた日のことです。占いをご所望のお客様が来店、あと五分ほどで他のスタッフも戻ってくるだろうから、と私がその方を占うことにしました。ホロスコープを出してびっくりしたのは、その方が私と同じ出生年月日、同じ時間、同じ場所で生まれていたことです。ですが、特にその方の人生と私との間に目立った共通点はなく、まあそんなものかな、と思いながら占いを終えました。そしてお客様をレジまでお連れすると、そこには真っ青になって抱き合っているスタッフが!何とか平静を保ってお客様をお見送りし終えても、二人の顔色は戻りません。いったい何があったの?!と尋ねると「昼休みを終えたら、占いコーナーからヘイズさんの声が聞こえた。占いしているのかな?と思ったんだけど、どう聞いても、ヘイズさん一人が受け答えして、うけて笑ったりしているようにしか聞こえない。これは精神を病んでしまったのか、どうしたらいいんだろうと考えたら怖くて」という返答が!お客様が私と全く同じホロスコープの持ち主だった、と伝えると、二人は「それでか」と安心した様子でしたが。いまだに私自身も狐につままれたような気分の事件です。

さてさて。こんなふうに本当に「怖い!!」という経験とはちょっと違いますが、不思議なことはまだまだいっぱいありました。その話はまたの機会にでも!

著者について

ヘイズ中村は子供の頃から神秘の世界に魅せられ、長じて占い師、魔術研究家になりました。とくにトート・タロットに惹かれて『決定版・トート・タロット入門』も執筆しました。隙間時間には下手の横好きなレース編みをしたり、異次元に想いを馳せられるSF映画など楽しんだりしています。

ヘイズ中村は下記のサイトでも活躍しています。ご意見や質問などお待ちしております!