危機をチャンスに変える
トラブル時こそ魔術的均衡を
あれはちょうど2000年になった頃だったでしょうか。もう随分と昔のことで細部の記憶があやふやなのですが、アメリカの新聞のストレス調査で「ウォール・ストリートのビジネスマンは、月曜日の朝出社してメールサーバーが壊れていた場合、配偶者から離婚を告げられたときと同レベルのストレスを経験する」といった一文がありました。確かに週明け一番でメールが使えないとなれば、その後の混乱ぶりを想像するだけで血圧もあがるだろう、と納得した覚えがあります。それから20余年が経過して、私たちのデジタル・ガジェットへの依存は進むばかり。とくに、SNS は本当に日常の些細なところにまで浸透してきています。ただ、それに支配されすぎているのはどうなのでしょう。
実際のところ、スマホで毎日のランチを撮影してアップしてからではないと食べた気がしない、とか、友達は全部デジタルの世界にいるからお出かけなんてしなくてもいい、といった声を聞くこともあります。SNS の発展によって小さな企業も気軽に広告宣伝が打てたり、今までだったら泣き寝入りするしかなかったような事件を明るみに出すことができたりするようになったのは素晴らしいことだと思います。
ただ、前述したメールサーバーの不具合は、いくら大規模ではあっても契約上いつかは修復されるものです。それとは異なり、今や毎日の生活に不可欠な存在となっている SNS は、どれも大企業が運営するプラットフォームを利用しているだけにすぎません。
利用料があまり徴収されないので実感がないかもしれませんが、要は企業が「もう使わせない」と一方的に判断したらそれでおしまい、という圧倒的な力の差のもとに成り立っている関係でもあります。「ただで使えるんだからいいじゃん」という意見を聞くことも多いですが、この世の中、ただのものなんてありません。企業側はユーザーの投稿から大量のデータを採取し、それを利用して巨額の利益を出しています。そしてそうした巨大 IT 企業を世界の1%でしかない超富裕層がマネーゲームで買収や譲渡を繰り返し、多くの利用者たちを振り回しているのが実情です。
今、体験していること
さて、私の個人的な状況に話を移します。数年前、Fortuna Moon のホームページを作ろうとドメインを取得した際、瞬時に fortunamoon という Twitter アカウント名のスクワッターが出現しました。(スクワッターの意味はググってね)もちろん運営側に連絡してもしょうがないのはわかっていますから、諦めて別のよく似たアカウント名をとって細々と活動を始めました。そして数年越しでやっとこの HP が完成したら、なんと1週間ほどでアカウントは凍結。その理由も「凍結の回避を禁止するルールに違反」という心当たりのないもので、です。
このとき、本当にたくさんのアカウントが同じ理由で凍結されたらしいですから、いわゆる「凍結祭」に巻き込まれたと解釈できるでしょう。それ以来、延々と異議申し立てはしてきましたが、何の返答もない状態で、そろそろ諦めねばならないかと腹を括っているところです。皮肉なことに、何も投稿していないおかげかスクワッターさんの方は元気にまだスクワットし続けてるんですけどね。
悲しいかな、こうした圧倒的に理不尽な事件は世の中にはよくあることでしょう。怒りに燃えて運営本社に押しかけるとか、もっと暴力的な行動をするとか妄想することがあっても、実行したところでお縄になるだけで意味のある結果は出せないでしょう。不平等な社会は変えていかねばなりませんが、それには長い時間と地道な活動が必要です。こんなときに個人のレベルでまず大切なのは、その場の感情や絶望感にとどまらず、自分にできる限りのことをして動き続けることではないでしょうか。それは不公平な状況への怒りだけを感じてそこに止まってしまえば、魔術的な修行に必要な「均衡」を失ってしまうからです。不当な扱いをされたからといって、仕事を含めて自分の積み上げてきたものを台無しにしてしまうのは、得策ではないでしょう。
均衡とは停止ではない
魔術や神秘世界の修行には均衡が重要である、とはよくいわれることですね。でもその説明が二次元の生命の木図などを用いて行われることが多いせいか、一点に静かに止まっている状態をイメージしやすいかと思います。しかし、この宇宙の中では止まり続けているものはありません。星々は宇宙の法則に従って回転し続けていますし、地球の自然も日々その姿と現象を変えながらも一定のバランスを保っています。
いわば、高速で回り続ける独楽が遠目には静止しているかのように見える状態だ、と考えた方が正解に近いでしょう。いや待てよ、死は停止しているじゃないか、と思う人もいるかもしれません。いいえ、大きな宇宙の流れの中で考えれば「死」は「生」と対になって永遠のダンスを踊っています。つまり、人間が一つの感情に留まってしまう、停止してしまうというのはとても不自然で破滅的な状態なのです。
大きな、そして大抵は不幸なイベントに遭遇した際にそこに囚われないようにするには、均衡を計るために反対側の力やそれ以外の状況を自分で作り出していくしかありません。私の場合は、Twitter アカウントが凍結されてから、他の SNS に新たなアカウントを開設したり、以前から使っている Facebook や mixi のアカウントを充実させる作業を始めました。また、問題が起きた SNS という世界の反対側に位置する、現実世界での知人と一緒に食事をしたりする時間を増やすようにしました。
この「生身の人間と会う」という行動は、予想外の大きな楽しさと新たな気づきをもたらしてくれています。ある意味、私自身も自覚がないうちに埋もれてしまっていたデジタル世界から少し足を踏み出すチャンスを得られた、とも考えられるでしょう。これも、怒りだけに留まっていたら得られなかった成果でしょう。
生きている限り、何らかの「ぎゃーー!」事件には遭遇し続けるでしょう。すぐにポジティブな方向に行動しろなんてとてもいえませんが、数日間怒ったり悲しんだりして気持ちが落ち着いてきたら、逆のエネルギーを取り入れるように動いていきましょう。回り続ける独楽こそ、宇宙に同調して生きていけるからです。そして最後に、デジタルに依存し過ぎている現状を少しだけ、変えてみませんか。一点に依存してしまうのは弱さに通じます。人間は何にも頼らないでは生きていけませんが、それだからこそ、頼る先は複数作っておくべきですし、そのためにも画面の向こう側のなにか、ではない友人や知人を大切にしようではありませんか。