持続可能なトレーニング
魔術修行をどう続けるか
魔術に興味を持った当初の私は、バリバリの儀式魔術師志願でした。でも、そのための修行を始めると「あれ?これってすっごく古い家父長制度のもとの修行だよね?」と思うことばかり。例えば、日拝というベーシックな修行一つをとってみましょう。ざっくり説明すると、これは日の出、太陽の南中時、日没、そして北中時に起きて、太陽を崇拝するというトレーニングです。地球のリズムを実感し、自分を律する習慣をつける、といった効果があるのは確かです。ただこれ、小さいお子さんがいる女性ができますか。夜中に飛び起きたりしたら、子供は起きて泣き出しますよね。
だいたい、40年前の普通の独身OLだって、お昼時のお茶出しをすっとばして屋上に駆け上がって太陽崇拝儀式、なんてやっていられませんでした。要は、昔からの技術としての魔術ですから、最近話題に上がることが多い「自分以外(大抵の場合は妻)に全ての家事や雑用を押し付けて、自分は好きなことに邁進する」男性のためのトレーニングが組まれてきたのです。ゴールデン・ドーンには多くの女性魔術師も在籍していましたが、皆、中産階級の豊かな家庭の人ばかり。本人が身の回りのことに忙殺されるということはなかったのでしょう。
私が儀式魔術よりも魔女術に惹かれるようになったのは、そうした日常生活上での問題も大きかったような気がします。あまり高価な用具を揃えなくてもいいといったところも魅力でしたし、現在でもそのように感じる方は少なくないでしょう。ということで、魔女術の世界に来て一息ついたのは良いのですが、難しいことはしなくても良いとなってしまうと今度は、日常的に何をすれば良いのか、ということでの悩みがやってきたのです。
助けてくれたのは
こんなときに私に道標を与えてくれたのが、やはりマリアン・グリーンの著作でした。そこには、毎日の行動を意識的に行うことで魔術修行へと変える、というアイデアがあったのです。例えば、洗濯物を畳むとか、皿を洗うといった行動も、そこに「身辺を整える」とか「汚れを落とす」という目的を込めて行っていけば、立派な修行になるはずだ、ということ。あるいは、庭の落ち葉をはく、といったぼーっとできるような作業では、その時間を有効に瞑想へと変えて良い、いうこと。本当に、これならばお金持ちではなくても、そして普通に家事をこなしながらでもトレーニングができる、と感激するアイデアがぎっしりと詰まっていました。
それから、私は無理な旧来の方式での日拝ができないことに罪悪感を持つことは無くなりました。その代わりに、できる限り規則的に毎日3食、自炊で食事をして、太陽を通して作られる地球の命の恵みを感謝していただく、という自分なりの術式を考えて実行し始めました。また、追儺儀式ができなくても、しっかりとシャワーを浴び、今日の汚れを落とす儀式とすることも始めました。
それだけでは不足しても
そんなの単なる日常生活じゃないか、と拍子抜けされる方も多いでしょう。でも、古来、日本の精神修行を振り返ってみても、お堂の雑巾掛け、庭の清掃などから始まっていますよね。そして、いうまでもありませんが、クロウリーは「すべて、意志をもとに行う行動は魔術である」と定義しています。自分が決めた術式をしっかり守り、継続し、改良していけば、それはきっとある程度は有効な魔術となっていくだろう、と思うのです。逆に、そこに自分の意識をもちこまず、惰性で繰り返しているならば、どんな壮大な儀式であったとしても、それはラジオ体操以下の効果しかない、とも考えられそうです。何もしないよりはマシでしょうが。
もちろん、毎日の生活を意識的に送る「だけ」で魔術修行をしている、と胸を張れるわけではないと思います。でも、元々が不公平にできているシステムの中で悪戦苦闘し、絶望していくよりは、自分にできることから積み重ねて内側からシステムを変えていく、という考え方は大いに「アリ」ではないでしょうか。それはここ百年ほどの女性の地位向上の歴史などともオーバーラップしてきます。魔術は非日常的な法則が動く世界ではありますが、非日常の下には必ず「日常」があります。その部分をどうやりくりしていくか、を工夫するだけでも一歩、前に進めるはず。
もちろん今では、多くの男性志願者もクロウリーやマザースのように優雅な魔術修行生活を送っていられるわけもないでしょう。そんなときに、自分なりの新しいトレーニング方法を編み出すのも、面白いと思います!