魔女宗の欠点とは

宗教の壁を越える意義

魔女術と魔女宗の違いについて、ここでジャンルや名称に細かくこだわると何冊も本が書けてしまうので、簡単に説明します。魔女術は、今、みなさんが大体イメージするような魔女活動を広く指すもの。対する魔女宗は、女神崇拝という側面を強く打ち出していて、極端な場合は占いなどは全くせず、女神を崇拝し、祈るだけという一派もあるほどです。基本的には西洋の男性一神教、父系家長文化に対抗しての女神崇拝や、多神教崇拝、母系文化を強調することが多く、文化的背景の異なる日本ではあまり注目されていません。

私自身は、この道に入った当初は「魔女宗」側だったと思います。私的な理由ですが、大叔母が熱心なクリスチャンで、何かと私(と、それを通して私の母の)生き方を宗教を通して批判してきたこと、また体の弱い子供だったせいで、近所の様々な既存・新興宗教の人々から「信心しないと、治らない」と脅かされたことなどから、そうした宗教へ強い反発心を抱くようになり、優しく命を育む女神に癒しを感じていたのは間違いありません。ですが、しばらくその世界に生きている内、魔女「宗」となると、私が嫌がっていた宗教のダークサイドもまた、存在していることに気がつきました。その世界を離れてディアドラたちに迎え入れられて、今はどちらかというと生活哲学に近い魔女術の世界に身を置いています。

当時の私にとって辛すぎたのは、私の周りにいた魔女宗の人たちは他の既存宗教との平和的な共存を認めない流派だったから、です。もちろん、魔女術の世界は広く、そのベクトルも広いので全てがそうだというわけではありません。とても寛容な魔女宗の人たちもいるのですが、悲しいことに私の周りはそうではありませんでした。既存の宗教の多くは男性一神教であるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などですから敵扱い、仏教も男性が創始したということで拒否。しかも、その信者も拒否するとなると、本当に魔女宗の人たちとしか交流できません。そんなことでは考え方も固まってしまうし、魔女は悪魔の使いだ!と問答無用で焼き殺した人たちを、単に裏返しにしただけであり、そんな排他的かつ差別的な生き方はしたくなかったのです。

現在は?

もちろん、一部のキリスト教原理主義者などは、タロット・カードを持っているだけでも悪魔主義者として攻撃してきますから、そんな人と交流したいとは思いません。ただ、何らかの神秘的な学びを得て、より向上した生き方、考え方をしたいと願う人たちには、ある程度の共通する「何か」があるだろう、と信じています。宗教にはその土地での単なる慣習になってしまっている部分も多いですから、そこだけに従って良しとしている人はともかく、その教えの中に何らかの真理を見出そうと努力している人たちとは、ある程度は分かり合えるのではないか?そう思って活動の軸足を移して以来、私の世界は本当に広がりました。今では、神道、仏教、様々な道の実践家の人たちと友情を育んでいますし、そうした友人が現実世界をよくしようと頑張っている活動にも、協力しています。

でもそうすると意外なところから、反発や嘲笑の声が届くようにもなりました。これは、本来の魔女術を実践しているわけでもない、オカルティストさんたちが多いようです。魔女なのに寺に行くのか、金が欲しいだけじゃないのか、などなど、まあ、よく考えつくよな、という感じです。まず、私たちが生きているマルクトで活動するにはそのためのエネルギーである土、つまり「お金」は必要です。たとえご喜捨だけで生きている修行者の方だったとしても、その背後にはお金を使ってご喜捨している人がいるわけです。誰も、人に「呼吸するな」とは言えませんよね?呼吸しなかったら、その人は死にますから。同じ意味で「金を稼ぐな」とも言えません。今の世界ではお金がなければ、呼吸ほど俊足ではなくてもその人は確実に死んでいきます。ましてや、困っている人、悩んでいる人に手を差し伸べようとすれば、それなりのエネルギー、つまりお金は必要です。

他宗教との交流とは

ではもう一つの、魔女なのに他の宗教と交流するのか、という点についてはどうでしょうか。これは、異なる国家や民族がわかりあうことはできない、と強固に主張される方と似たような考え方だとも思うのですが、まず全部が「同じ」で全てに「納得」する関係なんて、同じ家族間でもあり得ません。逆に、しっかりと話し合えば、ある程度はお互いに理解し合い、尊重し合える関係というのは、けっこうあるものです。私が今、交流しているのはそうして築き上げてきた関係の元にある方々ばかりで、とても尊敬しています。そして、強調したいのはお互いを理解していくことは、お互いの実践をごちゃ混ぜにすることではありません。神道家の方とお話をして、儀式中での声の使い方の共通に驚くことはありませんが、だからといって、私がいきなり神主の衣装を着て祝詞をあげ始めたり、ご利益がある!と御朱印集めに血道を上げるなんていうことはないのです。

また、ちょっと現実的に考えてみてください。私がとても大きなトラブルに巻き込まれた女性を助けようとして警察に連絡するとしたら「占い師で魔女なんですが、活動の中で困っている人と出会いました」というよりは、神主さん、尼僧さんといった肩書きのある人に助力を頼んだ方がよっぽど話も早いはず。魔女としての道を曲げている、と批判するならば、してください。そんなことは、何年もかけて築き上げていくものであり、目の前で苦しんでいる人は、一分一秒でも早く救う方が大切なのでは?

あくまでも狭い範囲での私見ではありますが、最近はネットなどの影響か、より寛容になっている魔女宗の流派も増えてきたように感じますし、もともと魔女とは人を糾弾する一神教とは異なり、小さな違いにこだわらず、自然の子供達を抱きしめる女神の信徒であるはず。自分と少しでも異なるものを拒絶するのではなく、共存への道を探っていきたいと考えています。

著者について

ヘイズ中村は子供の頃から神秘の世界に魅せられ、長じて占い師、魔術研究家になりました。とくにトート・タロットに惹かれて『決定版・トート・タロット入門』も執筆しました。隙間時間には下手の横好きなレース編みをしたり、異次元に想いを馳せられるSF映画など楽しんだりしています。

ヘイズ中村は下記のサイトでも活躍しています。ご意見や質問などお待ちしております!