魔術の基礎を作ろう
基礎がなければ家は建たない
最近、日本語に翻訳された西洋魔術書や錬金術書、西洋占星術の書籍などがかなり市場に出るようになりました。おかげで、今までは英語が苦手で、となかなか学ぶことができなかった人たちも、気軽に本格的な書籍で学ぶことが可能になってきました。喜ばしい限りではあるのですが、思いもよらなかった副作用的な面が気になるのも確か。今回は、連載形式でその辺りをしっかりお話したいと思います。
この副作用的な面というのは、最近の講座などにいらっしゃる方々とお話しして気が付いた、魔術書や占い書籍「だけ」しか読んでおられない方がとても増えてきたという現象です。別に、そうした方々が不真面目だとか、ちゃっかりと近道で勉強しようとしているなどという感じはしません。逆に、とても生真面目で一つのことに集中して学習する意欲は満々、というエネルギーさえ伝わってきます。それなのに、ちょっとした象徴に関してお話をしても、それは知りません、どんな本に載っているのですか?というお返事ばかり。まるで生徒さんが学んでいる書籍と、私がこれまでに学んだ知識が全く違う世界のものなのか、と心配になる程「話が通じない」瞬間が増えてきました。
もちろんですね、私も歳を重ねているわけですから、ファッションでの例え話やアニメの話題がすべってしまうのは仕方ないと思います。そんなときは、自分でも「あーあ、古すぎたな」などとすぐに自覚できますし、皆さんも優しく苦笑されてますから、どうってことはないとわかりますし、自分の歳を良い意味で実感できる瞬間でもあります。
でもこれが、タロットカードに描かれている象徴などの話となると、そのようなジェネレーションギャップが原因で通じないというわけはないでしょう。不思議なことに、分からない、と返答されている方々には勉強不足という雰囲気もありません。どこがいけないのか、色々と悩んで、何が通じなかったのか講座の後にリストを作ってみました。
魔術書だけでは不足
そこで可視化されたのは、生徒さんたちの反応が鈍かった場所は、魔術書や占術書には書かれていないことが多い、文化や慣習といった背景的な知識に深く関わる事例である、という事実でした。それに気づくと、講座の最中に噛み合わないな、と感じていた会話も色々と思い出してきました。もっとも典型的なのは、私が「聖書にも書かれているように云々」という説明を始めると、「えっ??ヘイズ先生、キリスト教徒だったんですか?」という質問が返ってくる、ということです。
いうまでもありませんが、私はキリスト教徒ではありません。ただ、西洋近代魔術や魔女術はどれもキリスト教文化圏で発展したものであり、何気なく見える象徴にもそうした伝承が脈々とながれているのが当然です。例えば、タロットカードにはよく、魚と見つめ合っている姿が描かれますが、それは別に魚の調理法を考えていたり、空腹だったりするわけではなく、ほぼ、イエス・キリストの教えを考えている場合の象徴図なのです。
その理由は、まだ信仰を禁じられていた時代の初期キリスト教徒が、魚を横から見た形に描いたシンボル「イクテュス」をキリストの隠れシンボルとして用いたからです。今でもこれはジーザス・フィッシュやクリスチャン・フィッシュなどとも呼ばれて、キリスト教徒が自家用車のバンパースティッカーなどによく使っています。イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味ですが、ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主、の頭文字を並べたものでもありました。そうした流れから魚=イエス・キリスト、という二千年以上の文化的下地ができているのです。
とはいっても、日本にだって日常に溶け込んでしまっている宗教的な文化はたくさんあります。例えば「あんなひどい男なんて金輪際、お断りよ!!」という表現は珍しくありませんし、誰だって意味はすぐにわかるでしょう。でもここで使われている金輪際とは、元々は仏教用語。大地がある金輪の一番下、水輪に接するところをさします。そんな下の下だから、もう絶対二度としない、といった強い否定の意味で使われているのです。日本人ならば説明されなくても意味はわかりますし、逆に多くの人が仏教用語だなどと思わずに使っているでしょう。西洋魔術に出てくる聖書からの引用も、それと同じなのです。
魔術書がなかった頃は
でも、私はわざわざ、そうした背景を勉強するという殊勝な目的で聖書を読んだわけではありません。ここから先は私と同世代のオカルト好きさん、占い好きさんには共感してもらえると思いますが、私が若い頃には魔術もタロットも占星術も、参考書がほとんどなかっただけなのです。一冊か二冊の参考書を隅から隅まで読んでしまうと、もう他には何もありません。
英語の書籍に挑戦しようにも、今のようにクリック一つで気軽に購入できるわけではなく、外国の出版社に手紙を書いたりして注文しなければなりませんでしたし、送料を考えれば何ヶ月もかかる船便を選ぶしかありませんでした。だから、参考書に「聖書の記述では」といった文言があれば聖書を読み、ヨーガが云々という記述があれば図書館でバガヴァッド・ギーターを借りて読む。そんなことの繰り返しだったのです。
その中でも忘れられないのは、当時、古書店で二百円で入手した聖書です。その聖書には、な、なんと魔術、妖術、悪魔、天使、占いといった言葉に前の持ち主が赤いアンダーラインを引いてあったのです!その方はきっと、私と同じような境遇と目的でその聖書を読んでおられたのではないでしょうか。そのときの聖書は、もっとアンダーラインを増やしたままで、ボロボロになっても未だに私の書棚に並んでいます。
周辺知識の重要さ
その頃はそんなふうに肝心要の魔術知識に切り込むことができずに、周辺文化ばかりを学んでいる自分を惨めに感じることも少なくありませんでした。でも、それが報われた!!と分かったのが、やっと手に入れたアレイスター・クロウリーの『魔術・理論と実践』を読んだときです。そこには五十冊以上の魔術書ではない本が「重要参考書籍」として列記されていました。そして、そうした周辺知識がとても重要であるという説明も。
さらにはやっと手に入れたタロットカードには、聖書の例え話でお馴染みの象徴が山のように入っていました。逆にいえば、こうした周辺知識なしでは、その後に延々と続く魔術書の知識も理解することはかなり難しかったでしょう。こうした周辺知識は、いわばアスリートにとっての筋トレであり、魔術知識という家を建てるための基礎工事のようなものだったのが、今ではよくわかるのです。
最近の生徒さんたちは、そうした回り道をする必要がありませんし、日本語で出版されている書籍を読むだけでも青息吐息なのはよくわかります。でも周辺情報なしでは、それでなくても難解な魔術知識に徒手空拳で挑んでいるようなもの。読んだはいいけれど、理解できない、あるいは身につかない、という結果になるのも当然でしょう。しかし、それでなくても必読図書が増える一方の魔術学習。次回では、できるだけ効率よく、でも偏らない状態で基礎を作るのに必要な書籍などを紹介していこうと思っています。乞うご期待!